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ホームレスから億り人をめざす・余弦さんインタビュー【前編】 | FROGGY (フロッギー) https://t.co/2ulxLPAS87 #お金の常識をカエル— 余弦@cosP (@ygnfx) 2019年1月8日
https://froggy.smbcnikko.co.jp/14067/
「アメリカ留学から帰国し、関空に到着しました。空港のテレビで久しぶりに見た日本のドラマが『ちゅらさん』。沖縄を舞台にしたドラマです。どこに住むか決めていなかったので、いっそ親戚も友人もいない沖縄に住むかと、その場で決めました。『ちゅらさん』のせいで人生が詰みかけたんです(笑)」
「アメリカ留学から帰国し、関空に到着しました。空港のテレビで久しぶりに見た日本のドラマが『ちゅらさん』。沖縄を舞台にしたドラマです。どこに住むか決めていなかったので、いっそ親戚も友人もいない沖縄に住むかと、その場で決めました。『ちゅらさん』のせいで人生が詰みかけたんです(笑)」
仕事のあても、貯金も、身寄りもない沖縄へ移住。ホームレスとなったのは当然といえば当然だった。余弦さんが20代前半のことだ。
「国際通りのショッピングセンター前、屋根がついて雨宿りできる歩道が僕のベッドでした。ボランティアの人が配ってくれる賞味期限ぎりぎりのパンで糊口をしのぐ生活が1ヵ月弱ほど続きました」
絶望しかない状況……。どうやって脱したのだろうか。
「通りがかりのおばちゃんが声をかけてくれたんです。『住むところがないなら紹介するよ』と。敷金や保証人もいらないし、家賃は働いてお金が貯まってからでいい、と。家賃2万5000円、お風呂もない1Kの部屋でした。トイレは共同だし、建ってから何十年も建っているような部屋でしたが、本当に運がよかったです」
住居を得てアルバイトできるようになり、人間らしい生活を取り戻して、正社員の仕事にも就いた余弦さん。そこで思い出したのが、空港での出来事だった。
「関空に着いた時点で手持ちは1000ドル弱でした。その乏しいドルを円に戻したとき、100ドル紙幣のパックがひとつ1万2000円ほどだった。渡米時は1万円だったので、いつの間にか儲かっていたんです」
余弦さんが金融市場に目を向けるきっかけとなった出来事だった。この体験を思い出した余弦さんは、投資への一歩を踏み出していく。
(※中略、全文はソース元へ)