1: 稼げる名無しさん 2021/04/16(金) 16:11:33.03 ID:CAP_USER.net
あまたの事業を成功させてきた起業家、堀江貴文。ITビジネスに宇宙ロケット開発、オンラインサロンの運営など、それまでにない手法で困難とされてきた事業を次々と実現してきた。それを可能にしたのは、莫大な資金や、特殊な才能ではない。ただ、好きなことに「没頭」してきたからだ。
彼の主張は、次のように一貫して、シンプルだ。
3歳児の気持ちで、のめり込め。
常識とか世間体なんか、ぜんぶ無視だ。
近刊『非常識に生きる』(小学館集英社プロダクション)では、「生き方改革」として、常識に縛られず自分の人生を生きるための41の行動メソッドを指南している。
※本稿は堀江貴文『非常識に生きる』の一部を再編集したものです。
「貯金は美徳」は間違っている
僕の通っていた福岡の小学校では、親戚からもらったお年玉を郵便貯金するように教えられていた。40年近く昔の話だ。
新学期、生徒たちは茶封筒にお年玉を入れ、講堂に集められた。講堂には郵便局員が来ており、そこで口座をつくって、お年玉を貯金する手続きをさせられた。僕は「なんで郵便局に貯金しないといけないの?」と、不思議でならなかった。せっかくもらったお年玉を、なかば没収されるような形で、貯金することになってしまった。少しもありがたくない。
学校の先生も、両親も、世間の大人は「貯金は大事です」と言う。それは、大間違いだ。少なくとも人生にとって、大事な行為ではない。
貯金が趣味だったり、何らかの目的があって貯めているのはいいと思う。でも、使い道がないのに預金通帳にお金を余らせ続けるのは、本当にバカバカしいことだ。
郵便貯金は第二次世界大戦中、戦費調達のキャンペーンから全国に普及したものだ。戦争がなくなった現在は、国債を償却するために、国民から預けられたお金を勝手に運用している。詐欺とまでは言わないが、そんな「横取り」を普通にやっている機関に、せっかくのお年玉を吸い取られてしまった。あの悔しさと疑問は、大人になってからも、ずっと頭の隅に引っかかっていた。
多くの著書で説いているが、銀行などの金融機関に預けているお金は、単なる債権だ。貯金は、いざというときのための資金だというけれど、通帳の金額が多ければ多いほど、それだけ銀行に対して、債権を背負っているのと同じなのだ。
貯金は生活の安心につながると、大人は言うかもしれない。しかしその金額ぶん、債権者としての負担を増やしているのだ。返してもらわないといけないお金を増やして、手元に使えるお金を減らす。それが、なぜ安心なのだろう?
僕の言い分は、極論すぎるかもしれない。しかし批判されようと、言い続ける。
貯金が美徳というのは、間違っている!
体験のために、好きなだけ使ってしまおう
銀行に預けていれば融資という形で、お金は世の中に回るかもしれない。だが融資の恩恵を受けるのは、限られた大手企業だ。庶民の消費が活性化しなければ、意味がない。大多数の会社の業績は上がらないし、雇用も生まれない。
使わない限りお金は、活きてこないのだ。貯金は、お金の無駄遣いだ。
僕は大学生になって以降、貯金は一切やめた。
アルバイトで多少まとまったお金を稼ぐと、仲間と遊びに行き、見聞を広めるために使い尽くした。もとより、貯金向きの性格ではない。活きない貯金を守るより、活きたお金を使った方が、絶対に楽しくて幸せだと信じていた。
使うだけ使いまくって、正しかったと思う。お金を使って得た経験によって、コミュニケーション能力も、出会う人のランクも高くなった。
起業して以降、収入はうなぎ登りだった。貯金通帳はほとんど見ていないが、学生時代からすれば、信じられない額のお金が入金され続けていた。ずっと貯めていれば、40代で指折りの富豪になっていたかもしれない。でも僕にとっては、貯金額を増やすより、そのときだけに得られる出会い、興奮や体験を積み重ねることの方が大事だった。僕の得てきた多くの体験は、もう同じ額のお金を投じても取り戻せないのだ。
いまという時間を楽しみ尽くすために、好きなだけ使ってしまおう! 無駄な貯金で、お金の活力を死なせてはならない。
1001: 以下名無しさんに代わりまして管理人がお伝えします 1848/01/24(?)00:00:00 ID:money_soku
なんでもすぐに「バカ」とつけるところは同意できないけれど、以下の点に関しては同意だお。
まあやる夫も俺も基本のめりこみ型だし、そこは同意かな。
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