若者たちは黙々と動画やゲームの画面と向かい合い、用事は絵文字を含む超短文メールを素早く打つばかり。
時間を割いて他人と会って話すのは「タイパが悪い」とすら言う彼らと、「生きた」日本語の距離がいま、信じられないくらい離れたものになっています。
言い換えるならそれは、年配者との間の大きなコミュニケーションの溝。
「日本人なのに何故か日本語が通じない」という笑えない状況は、もはや見過ごせませんが、「その日本人同士と思うところが盲点」と、話すのは、言語学者の山口謠司氏。
いま、「おつり」を知らない子どもたちが大勢いるそうです。
「おつり」という概念がわからないのはもちろん、現金そのものも見たことがない子さえいる、というのです。
まさかと思う方も多いかもしれませんが、しばらく前に、朝のNHKテレビ『あさイチ』でも、おつりを知らない子どもたちの急増問題を取り上げて、現状を伝えていました。
たとえば、ある小学校の2年生の教室。
先生が「100円で48円のガムと32円のアメを買いました。おつりはいくらかな?」と尋ねると、生徒たちは皆キョトンとして、「先生、おつりって何?」と口々に聞き返してくる――。
また、小銭硬貨を「何だ、こんなもの」とばかり、近所の川にジャラジャラと投げ捨てた男の子とか、持たされているカードを駅の改札で「ピッ」とすれば電車はタダで乗れると思っている女の子の例など、次々と飛び出してくる母親たちの証言――。
ただですら活字離れが進んでいる若者たち。そのような彼らがSNSやLINEの画面に打つのは、たとえば「り(→了解の意)」「オワタ(→終わったの意)」「クサ(→笑いの意)」……などの極端に短い文字、あるいは記号や絵文字。
いったい、日本の素敵な言葉がどれだけ摘み取られてしまっていることか。
たとえば、たらいを知らない人、風呂敷で何かを包んだ経験のない人、下駄を履いたりしたことのない人……。
その他、「巾着(きんちゃく)」って何?「タガ」って何?「ちゃぶ台」とは?「うだつ」とは?
こんな疑問を持つ人は、そうした物がモトになってできている言葉を理解しようとするのは無理があります。
当然ながら、日常生活のなかで見たことも触ったこともないモノやコトが多いのは、若者の側が圧倒的。
その分だけ、知らない言葉に戸惑います。
ところが年配者は、若者側の事情を少しも忖度しません。
長い間ずっと通用してきた日本語が、まさか日本人に通じないなんて、そんなことあるわけないじゃないかともいうべき思い込み(あるいは傲慢さ)で、若者たちが知らないモノやコトを、当たり前のように言葉の中に登場させてきます。(抜粋)
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