言うまでもなく長期的な国家的課題に一人ひとりが直接対峙して解決することは到底不可能ですから、国民としては一義的には政治家や官僚が危機を未然に防ぐことに期待せざるをえない立場にあります。
では「現在こうした長期的な課題について政治家や官僚は責任をもって戦略的に対処しているのか?」というと、結論から言えばその答えは「NO」ということになります。
十分予測されていた問題
たとえば、社会保障財政が将来的に悪化することなどは低出生率が定着した1990年代にはすでに十分予測されていました。2000~2003年に大蔵・財務省の事務次官を務めた武藤敏郎氏は退職後のインタビューで次のように述べています。
「実を言うと、1990年代の後半、財務省で社会保障制度などを担当していたころから、『中福祉・中負担』はウソっぽいな、と感じ始めていました。日本の高齢化率は1980年代から急速に高まりました。
日本が高齢化社会になったのは1970年、高齢社会になったのは1994年、超高齢社会になったのは2007年です。政治家が『中福祉・中負担』の国家、と言いたい気持ちはよくわかりますが、高齢化がこれだけ急速に進むもとでは日本の国の姿として『中福祉・中負担は組み合わせとしてはあり得ない』『中福祉・中負担は幻想ではないか』と思い始めました」
それにもかかわらず、その対策のために増税したり給付を減らしたりすることは国民の受けが悪いため問題が長らく放置され、2000年代に入って遅まきながら対策を講じたところで間に合わず、現在のような年間数十兆円規模の赤字を垂れ流すような状況になってしまいました。
問題はわかっていたのに対策は取られなかったのです。
このような長期展望がない状態は今でも続いており、日本政府には累積で800兆円を超える長期国債がありますが、これだけ政府の借金が積み上がっていても、将来的な財政政策のあり方については長期方針が示されていません。
このような社会の活力が弱まっている状態で先送りを続けると、問題は解決されるどころかどんどん大きくなってしまいます。たとえば社会保障制度の問題などは、人口が増え続けるかぎり制度の担い手となる若年労働者が増えていくので自然と解決されていくものがほとんどですが、今の日本では逆に人口が減っていく局面ですから、先送りすればするほど制度の担い手が減っていき、受け手である高齢者が増えることで問題が大きくなってしまいます。