正社員として採用されるが、実態は個人事業主で、経費などは自己負担。きついノルマがあり、目標未達の場合は給与が下がったり、解雇されたりする。背景には「大量採用・大量脱落」が半世紀以上も放置され、労働環境の改善が進まなかった事情がある。問題の解決に向けてストライキなどを起こそうとしても、入れ替わりが激しい職場のため働き手の団結も難しい。そんな現場を取材した。
2022年8月、首都圏に住む40代の飯田美保さん(仮名)は、再就職に向けた職業訓練の説明を聞くため、地元のハローワークに足を運んだ。スーツ姿の女性2人に「お仕事をお探しですか?」と呼び止められたのは、説明を聞き終え、建物を出た時である。
「すごく優しい口調で話しかけられました。私を木陰に誘い、『誰でもできる仕事です』『正社員としての募集』『営業の仕事ですが、ノルマなどはありません』と。熱心な勧誘でした」
2人は、中堅生命保険会社の営業職員。名刺にはテレビのCMでよく見る社名があった。すっかり彼女たちを信用した飯田さんは後日、営業所で面接などを受けて、営業職員として働くことになった。
「金融業界に興味があって、FP(ファイナンシャルプランナー)の資格取得も考えていたので、『仕事中の空いた時間に資格の勉強もできます』との説明が決め手になりましたね。でも、入社後の説明とは全然違っていて……本当に驚きました」
正社員と聞いていたのに、実際は営業経費などを自己負担する“個人事業主”だったのである。
正社員という法律上の定義はないが、一般的に正社員と言えば、収入は給与所得であり、社会保障も完備している雇用形態をイメージするだろう。飯田さんもそう思っていた。しかし、研修で聞かされたのは、給与は事業所得であり、税法上は個人事業主のために確定申告が義務づけられているという内容だった。先輩の営業職員には「正社員と言われるけど、正規の社員ではない。社会保障が付いた個人事業主と考えればいい」と説明されたという。
ないはずのノルマもあった。家庭を訪問する「飛び込み営業」のノルマは1日150件以上。朝礼では各職員の活動状況と営業成績を記載した一覧表が配られ、全員の前で成果を問われた。ノルマには契約件数と保障金額、そして期限が示されており、その達成度が昇給や昇格の条件になっていた。
飯田さんをさらに驚かせたことがある。
入社直後、約20人の営業職員全員が集まる朝礼での出来事だ。新人の採用に成功した職員を対象とする“抽選会”が行われた。ハローワーク前で飯田さんを勧誘した女性職員のもとに箱が運ばれていく。箱の上部には丸い穴。女性職員が手を突っ込み、数秒間、中をかき混ぜる。やがて、名刺サイズの紙を引き出した。
飯田さんが振り返る。
「紙を見るやいなや、彼女は『旅行券3万円!』と言ってガッツポーズ。周囲からは拍手が起こりました」
飯田さんは彼女のもとに歩み出て、「私を採用したからもらえたのですよね」と言ってはみたものの、それが精いっぱい。別の同僚からは「どの生保もそうやって営業職員に採用活動をさせている。鼻先に人参をぶら下げてね」と言われ、大きく落ち込んだという。
営業活動も忙しすぎた。ノルマをこなそうとしたら、業務時間内にFP資格の勉強など全くできない。
経費の問題もあった。生保の営業職員は、顧客に配るグッズやお菓子、カレンダー、名刺、さらには駐車場代や切手代まで、経費のほとんどを自分で負担する。こうした自己負担は労働基準法に違反しているとして、住友生命保険の営業職員が会社側を提訴したことがある。2023年1月に出た一審・京都地裁の判決は「合意のない控除は労働基準法違反」と認定。小冊子や年賀状、切手、コピー用紙、会社のロゴ入りお菓子などの代金約34万円を原告に返還するよう命じた。
それでも、飯田さんはさまざまな出来事を前に「あらゆることが、嘘じゃん。見事に騙された」と思った。入社から2カ月で退社。現在は「あの時、すぐに辞める決断をして本当によかった」と言う。(抜粋)
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