俳優の母は「兄のように慕っていた」「昨日から連絡がとれません」…両親の死因は向精神薬中毒の疑い
梨園に激震が走った惨事はなぜ起こったのか――。
歌舞伎俳優・市川猿之助(47)が都内の自宅で倒れ、父の段四郎さん(76)と母(75)が亡くなった事件から一夜明けた19日も、ワイドショーやSNSはこのニュースで溢れた。
「女性セブン」による猿之助のセクハラ報道があったばかりのタイミングということもあって憶測が乱れ飛んでいるが、事件の詳細はいまだ判然としない。
舞台やテレビで圧倒的な存在感を放ってきた猿之助の半生を振り返りながら、事件の背景を探る。
繊細かつ傲慢で毒舌…弟子に「お前らは家畜だ」
猿之助こと本名、喜熨斗(きのし)孝彦は1975年11月26日、四代目段四郎と妻・延子の長男として生まれ、一人っ子として育った。後に名跡を受け継ぐ三代目猿之助(現二代目猿翁)は段四郎の兄であり、伯父にあたる。
猿之助と段四郎が二大看板の澤瀉屋(おもだかや)にあって、そのど真ん中に生を受けた孝彦は二代目亀治郎を襲名して7歳で初舞台を踏んだ。
以降は亀治郎の名で歌舞伎や舞台、テレビ、映画で活躍し、慶應義塾大学文学部を卒業。2012年に四代目猿之助を襲名して以降は京都芸術劇場「春秋座」の芸術監督に就任するなど、活動の幅をどんどん広げてきた。
その一方で、水面下ではしばしばパワハラ体質も噂されてきた。
梨園と関係の深い松竹関係者はこう証言する。
「孝彦はひとことで言うと、繊細かつ傲慢で毒舌。頻繁に手を洗い、スキンケアにこだわるなど美意識が高い反面、傲慢なエピソードもこと欠かない。女性誌にも書かれてしまったけど、特に弟子の扱いが酷い。気分次第で理不尽にキレて『お前らは家畜だ』とか、平然と放送禁止用語で罵倒するんです」
俳優の母は「昨日から連絡がつきません」
私生活では、結婚するつもりがないことを公言していたため、跡取りは必然的に、もうけにくい。
しかし、このことで両親との仲が険悪になるようなことはなかったという。
関係者が続ける。
「孝彦と段四郎の仲はいいですよ。亀治郎時代から『妻も娶らないし、子供も要らない』と公言していたが、段四郎もこれを認めていて、跡取りがいないことに文句も言っていませんでした。孝彦は、かつては恋人と家を出たこともあったが、別れてからは実家に戻っていることからも、親子関係は良好だったことがわかります。
そもそも澤瀉屋は血縁を重視しない、容姿と芸の実力主義で、お母さんの延子さんもそれをよくわかっていました。延子さんは肝っ玉かあさんで人柄もすばらしく、歌舞伎界の他の家のおかみさんまでをもまとめていた影の実力者です。京都の友禅図案家のご出身で、芸事にも通じておられた方と存じ上げています。ただし、段四郎が十年ほど前から肝臓の重い病気で、自宅療養を続けていたので、延子さんの負担もかなり大きくなっていたようです」
そんな中で巻き起こった今回の事件。直前の「女性セブン」による報道との関連性はあるのだろうか。
「誌面化するにあたり、女性セブンは15日の月曜日に事実関係を本人に直撃しています。猿之助はそれを受けて考え込んだのでしょう。自身のマネージャーも務める俳優宛てに謝罪の言葉とともに『愛してる』といった文面の遺書を残し、それとは別にこの俳優に遺産をすべて相続させるという内容のメモまで残していたようです。
事件当日に現場から119番通報したマネージャーというのはこの俳優のことと思われ、救急車で段四郎さんらが搬送された後に現場で泣き崩れていたのを報道陣にも目撃されています」(社会部記者)
この俳優の母は取材にこう答えた。
「昨日の猿之助さんのことがあってから子どもとは連絡がとれていません。歌舞伎関係のお仕事もしているとは聞いていましたが、猿之助さんの身の回りの世話までしていたとは聞いていません。猿之助さんはとても素晴らしい方だと聞いていました。舞台でもご一緒しており、兄のように慕っていました」
以下、ソース
https://news.yahoo.co.jp/articles/59042ff88f949e1e1b8f9e27a6936e9a8fe236dc
前スレ
市川猿之助、発見者のマネージャー兼俳優に「愛している」と宛てた遺書と財産分与を示すメモ… その人物と母も昨日から連絡取れない状態
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1684509407/
引用元:https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1684596505/